顔を上げれば見えるもの
夏休みも残り 8 日、ユキは嗚咽を押し込めながらナナちゃん人形を見上げていた。
次に着替えた姿を自分はもう見られない。滞在中に親しんだものが剥がれていく感覚はたまらなく寂しかった。
そして手を引かれるままに踵を返す。
「ユキちゃん、明日の新幹線で泣いたらいかんよ」
隣を歩く祖母の顔を見上げる。真夏の日差しを背負う顔は逆光で薄暗くなりながら、いつもと同じ深い笑みを浮かべていた。
「ユキ、泣かへんし。もうすぐ 9 歳やもん」
そう言いながら、柔い皺の寄った二の腕に頬をすり寄せる。半袖から伸びる腕は触るとひんやりしていて、熱くなった頬に心地良かった。
「じいちゃんが二人でお茶して来やあって言うでさ、地下鉄乗る前に喫茶店行こうか」
「行く。アイスのやつ食べたい!」
「あ、ほら。大きい"ぐるぐる"あるよ。見える?」
踏み出した右足の歩幅が急に広がった。求めかけた甘い味も忘れ、口内が干からびる。
「…….なんで、あるん?」
祖母を隔てた向こう側には"ぐるぐる"と呼んでいた巨大なモニュメント、飛翔がそびえ立っていた。その瞬間、思い出を夢で反芻していることに気が付いてしまう。
飛翔が名駅からなくなったことを、中区のお寺で眠る祖母は知らない。
「大阪帰るときに寂しいのはばあちゃんも一緒だでね」
たたらを踏んで揺れた目線が祖母の頭を超える。
胸を掻き毟りたくなるほどの優しい笑みはもうユキを向いていない。
自分よりも低くなった額の汗が光ると、視界の全てがいっしょくたに混ざっていった。
「お墓参り行こうかな」
起き抜けの渇いた喉でひとりごちる。
最後に見た祖母の姿を思い出す。
思い返してみれば、外を歩く祖母の顔はいつも逆光だった。たぶん、ユキの日よけになってくれていたのだろう。
カーテンを開けると朝焼けが目にしみる。家屋と空に挟まった太陽は最寄り駅と同じウィンザーイエローに輝いていた。
